取締役会長 伊藤榮次逝去のお知らせ
ここ10年は、いつも社長、そして会長と呼んできました。
父は素直で本当に心優しく、息子の私も惚れるほど、いつもカッコイイ人でした。 ウラオモテがなく、物事の道理に反さず、決めた事はぶれずに通す。 その影響で少しだけ頑固でしたが、老若男女、誰の意見にも耳を傾けていました。
私は40年一緒に過ごし、そのうちの20年一緒に仕事をしてきましたが 本当にたくさんの事を学ばせてもらいました。
私が幼いころは、仕事での会食やゴルフで忙しく、一緒に過ごした時間は少ないですが、
父の独立後は、楽しい思い出でいっぱいです。今まで家にいなかった父が、車庫で作業している事がうれしく、学校から帰ってランドセルを下ろすと一緒に作業していました。
入荷した金具の油を除去する為の、ガソリンでの洗浄作業が特に楽しかった記憶があります。作業というより父と一緒にいられる事がうれしかったのです。今でもガソリンの匂いを嗅ぐと、当時を思い出します。
私が入社して共に仕事をするようになってからも、考え方や仕事の方向性が脇道にそれそうになると「ぶれているぞ」と軌道修正し、 重大な事から些細な事まで、私の意見やアイデアにしっかりと耳を傾けてくれました。 そのおかげで、自分の芯を持ちながら柔軟性も大切であることを教わりました。
父は利他の心を持ち、常に相手の気持ちを考えていました。 お取引していただけるお客様になぜ巡り合ったかを忘れず、出会いのルーツを大切する事を常々説いていました。我が社の金属加工にも、それが大きく活かされています。 その結果、後発でありながら福岡営業所を出店できるほど会社が成長したのです。 現在は業態こそ変化しましたが「伊藤栄次イズム」をしっかりと継承し、発展させています。
晩年は、肺と心臓の疾患を抱え、呼吸が苦しく、自由のきかない生活でしたが、自分の事は二の次にして家族と仕事、会社の事ばかりを心配してくれて、最後まで利他の心を行動で見せてくれました。
父が病気と闘いながらも、最後まで仕事を通じて沢山のコト、モノ、ヒトとの繋がりを残せたのは、この社会の相互扶助と医療制度のおかげです。今後も企業活動をもって社会に貢献する事が、全ての方々への恩返しだと思っております。それを通じて我が社も繁栄し、共に働く皆の「やりがい」を育て、経営理念である「企業活動を通じて人を育てる」ことを追求していきます。